白いカレーと午後の憂鬱

私は現在憂鬱である。
原因は無きにしも非ずだが、
無いことにしておきたい。
解決されない原因など、無くて七癖ナシの礫。


憂鬱なときってのは、
生きる意味だとかゲームをする意味だとか、
何かを綴る意味だとか、しょうもないことを
ぐるぐると考える。
当然、答えは出ない。
いやさ、そんな影の入った哲学なんぞ、
ゲームの美形な主人公に考えてもらえばいいことだ。
影の似合わないかるすは、考えるべきでない。


それよりも、
今日、今日という今日。
私を悩ませてくれたひとつの事実がここにある。
昼飯に、とあるカレーパンを食べたのだが、


中のカレーが白かった。


いや、いいんだ。
白いカレーの存在は知っている。
緑のカレーだって食ったことがある。
カレーが茶色じゃなくてはならないなんて、
そんな決まりはない。
でもな、でもな。
やはり、ここ日本国において、白いカレーは珍しいと思うんだ。
ファミレスかなんかで、
白いカレー入りました!! 新製品!!
とかやってたら、
あぁ、頼んでみようかな? って思うさ。
そう、珍しいんだから。
白いカレーは売りになるかもしれない。
でも、何故カレーパンの中身が白いんだ。


カレーパンのカレー。
それはパンという隠蔽された空間にある。
外からは決して見えない存在。
たとえそのパンという壁を破って
外界に身をさらけ出したとしても、
すでに人は食うのに夢中で色なんて気にしちゃいない。


カレーパンのカレー。
それは鮮やかな色彩において自らを飾れない。
具の大きさだって解らない。
温かさを身にまとい、ハフハフさせることも出来ない。
そうだ、私は冷めたカレーは嫌いだが、
カレーパンは大抵冷めている。
味、味だけが勝負の場。
暗闇の中で、まさに食の中心ともいえる
『味』だけを誇りとして、その場に佇む戦士。
そうではなかったのか!!


なのになぜ、私が手にし、
食したカレーパンの中身は白かったのだろう。
まだ、それを前面にして売り出しているのなら判る。
だが、パッケージには小さく一言。
『白いカレーフィリング入り』
それよりも『頭脳』の字がやたらに目立って輝いていた。
別に阿呆だから食ってるわけじゃない、
安くなってたからだ、頭脳パン!!
なぜか付いていたおみくじは中吉だった。
そんなこたぁどうでもいい。


白いことに意味があるのか。
それとも、こいつはただ白いだけで
ただひたすら白いだけで、意味なんてないのか。
白くたって、味はカレーだ。
白くたって、カレーなんだ。
普通の、茶色のカレーより珍しくたって、
カレーパンの中じゃ一緒だよ。


パンの中にカレーを入れる。
この行為を、
果たして『色』という個性の抑圧と見るのか、
それとも、
『味』のみでの勝負という平等な立場の構築と見るのか。
計り知れない苦悩の始まりのような気がする。