ゼルダの伝説夢幻の砂時計-おじさんたちとボク-

夢幻の砂時計をプレイしていて、
すごいビックリしたこと。


船に乗り込んだ敵を倒すと、
ラインバックが、おこづかいをくれる。


なんでこれが? って思うかもしれないが、
これはすごいビックリした。
だって、船長、仲間じゃん。
仲間が助けを求めてて、そこに敵が現れてて、
自分もやっぱりピンチなわけだし。
それって、それって、敵を倒すのが当たり前じゃん。
当たり前なのに、なんでこう、ほめられるのさ。
しかも100ルピーとか、どんだけ金持ちなのさ。
このときホントに、ラインバックを見る目が変わった。
でっかい目でぱちくりして、ポカーンな感じだった。
大人って、すごいって思った。


「ありがとうございます、ゆうしゃさま」
でもなく
「このかねでそうびをととのえて魔王をたおすのじゃ」
でもなく
「ほれ、駄賃だ」
って、
そんなお金って、なんだろう。
ごほうびをもらえた嬉しさがある。
だけど、絶対に届かない、距離のある寂しさも。
船長は大人で、ボクは子供。
当たり前だけど不思議な関係が、すごい強調されてた気がする。
ボクのほうが強いし、勇者だし、
いっぱい謎も解いて、いっぱいダンジョンもクリアして、
ボクのほうがいっぱいすごい、けど、
やっぱりオトナに届かない。
オトナに縛られてる中で、オトナに守られてる中で、
ボクはとっても自由になってる。


ラインバック船長だけじゃない。
じいちゃんはもちろん、
勇者の兄さん、警備員の弟さん、ロマーニさんなど
このゲームにはたくさんの大人が出てくる。
そしてやたらめったらリンクを可愛がってくれる。
疲れてても剣の稽古つけてくれる勇者さんは、
やっぱり絶対勇者で、かっこいいし。
警備員さんは毎日いいものくれるし。
(これもすごいびっくりした、ふとっぱらすぎる)
ロマーニさんは縁日のオヤジみたいだし。
「そこらのおやじ」をこんなに愛せたゲームってなかなかない。
あと、
ジョリーンの捨て台詞言うときの口の形が大好き。


ピュアでイノセンスなコドモでいて、とっても心地よい世界。
夢幻の砂時計って、実はオトナゲーなのかもしれない。