第9話

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多くの思いが交錯する中、サラボナの夜が明けた。

人々の思いとは裏腹に、あまりにも明るい晴天だった。



ビアンカは朝早く呼ばれ、ルドマン邸の応接室に通された。

そこには既にフローラとルドマンがいた。



フローラは緊張した面持ちで、きつく手を組み、前を見つめていた。

その横顔は美しくも儚く、痛々しいほどに健気に見えた。



(この人も、不安で仕方ないんだ・・・)



ビアンカはフローラを見て思った。

愛する人に、想い人がいて、比べられて、今日どちらかが選ばれる。

もしかしたら自分は選ばれないかもしれない。

フローラの翡翠色の瞳は、不安と憂いに満ちて、うっすらと潤んでいるように見えた。



今すぐ抱き締めて、髪をなでて、

大丈夫、トンヌラはきっとあなたを選ぶから、と

励ましてあげたい衝動にすら駆られた。



しかし、ビアンカは声をかけるのをやめた。

下手に話しかければ、余計に不安にさせてしまう気がした。



嫌な沈黙のときが続いた。

ほんの十数分だったかもしれない、

しかし、それはビアンカにとって、きっとフローラにとっても

何十分にも、何時間にも感じられた。



ピロッ



扉の開く音がして、召使に連れられたトンヌラが入ってきた。



ルドマンが声をかける。



「おお、よく来たな、婿殿。

 さあ、ふたりが待っておるぞ、心は決まっているな?」



「・・・はい。」



花嫁候補二人は、息を呑み、少しの間トンヌラを見てから、床に目を移した。

ルドマン、ルドマン夫人、そして使用人たちが見守る中、

トンヌラは浅く深呼吸をして、まっすぐ前を見詰めた。



一歩、また一歩。

ゆっくりと、だが確実に、トンヌラは自らの愛する人のもとへ歩みを進めた。

ビアンカはじっと俯き、くちびるを噛み、

フローラは指が震えるほどにきつく手を組んで、じっと佇んでいた。



緊張が空気にも伝わったのか、この瞬間が息苦しく思えた。



トンヌラの歩みが、止まった。



そして、目の前にいる人の名を呼んだ。



ビアンカ。」



ビアンカは驚いて顔を上げた。

ルドマンと、フローラがトンヌラを見た。

すべてが、決まった瞬間だと思われた。

しかし、



トンヌラ・・・どうして。」



「ごめん、ビアンカ。」



「え・・・?」



「僕、ビアンカのことが大好きだったよ。

 子供の頃から、一緒にいて楽しくて、それにいつも守ってくれた。

 もちろん、今も、大好きなんだ。

 でも・・・」



トンヌラ・・・」



「多分、愛してるのとか・・・それとはちょっと違う気がして。

 僕、フローラといるとドキドキして、楽しいだけじゃない嬉しさがある。

 だから・・・」



「・・・馬鹿ね、それならどうして私のほうに来るのよ。」



「ありがとう、ビアンカ。」



「・・・」



「ありがとうって、言いたかった。

 今まで、大好きなビアンカを悲しませるのが怖かった、

 だから結婚も、決められなかった。

 ・・・

 ・・・僕が結婚しても、まだ、仲良しでいてくれる?」



「・・・」



「・・・」



「あったりまえでしょ! 私たち、親友なんだから!」



ビアンカは、思い切りよく笑った。

一筋溢れた涙を、慌てて指で拭ったが、その笑顔は心からのものだった。



トンヌラも、穏やかに微笑んだ。



トンヌラさん・・・それじゃ・・・」



フローラが二人のもとに駆け寄った。

トンヌラはフローラの方を向き、無言で微笑み、うなずいた。



ルドマンが声を上げた。



「なんと、めでたい! 我が家の花婿が決まったぞ、さっそく祝宴の・・・」



そのとき





「ちょっと待ったぁああぁぁぁぁ〜〜〜っ!!」





思い切りよく扉が開き、聞き覚えのある声が飛び込んできた。



「まぁ、アンディ!」



「えっ、アンディ!?」



「アンディさん!!」



「うわ、なんだね君は!」



ルドマン邸の人々はいっせいに、その青年に注目した。

ゼェハァと息を切らせて髪を振り乱し、絹のローブを着込んでいるくせに

足元は健康サンダルな青年は、誰がどう見ても不審だった。



(うそッ、ホントに来ちゃったの・・・!?)



ビアンカは、昨夜のやり取りを思い出していた。

死ぬ気ならこれくらいやれとは言ったが、いや、まさか本当にやるとは。

どうしよう、止めるべきなのだろうか。

少なくとも自分がまいた種、知らぬフリをするわけにもいくまい。



そんな思いをぐるぐると回転させるビアンカの手を、何かが掴んだ。



ビアンカさんは、渡さない!」



「えっ!?」



次の瞬間、ビアンカはその腕に引かれ、ルドマン邸を飛び出していた。

こいつはこんなに速く走れたのか、と思うほどの勢いだ。



ルドマン邸に残された人々は、ただ唖然として、

もうすでに誰もいない扉の向こうを見つめていた。



ビアンカは、ただひたすら引かれるままに走っていた。

さっぱりわけが判らなかった。



宿屋を過ぎ、道具屋を過ぎ、ずっとずっと走った。

町外れを過ぎ、仲間モンスターたちが乗っている馬車が見えた。

それでも走った。

砂漠に出て、馬車を過ぎようとするとき、



「うわ!」



「きゃっ!」



アンディはなにかにつまずいてスッ転び、砂に思いっきり顔から突っ込んだ。

おかげでようやく、止まった。



「あいたたた・・・ごほ ごほっ・・・」



「ちょっと、大丈夫?

 いったいどういうことなのよ、これは・・・」



ビアンカは、砂まみれのアンディを引き起こして尋ねた。

あまりにも突然の出来事に、戸惑うばかりだ。



ビアンカさん・・・ごめんなさいっ!

 でも、私、ビアンカさんを愛してしまったんです!」



「・・・え?」



固まるビアンカ



「・・・気づいてしまったんです、さっき。

 窓から見ていて、トンヌラさんがあなたの方に歩いていったとき・・・

 どうしようもなく苦しくなって、気づいたんです。

 私に優しく、そして時に厳しく語りかけてくれた・・・

 寂しく、辛いときにいつも傍で微笑み、時には一緒に泣いてくれた・・・

 ふがいない私を本気で心配してくれた・・・

 ビアンカさん・・・そんな人が他にどこにいるのかって。」



「・・・アンディ・・・」



「今思えば・・・いつも部屋からあなたの姿を探していた。

 朝は早く起きて、あたたかなスープを持ってきてくれるあなたを

 そわそわしながら待ってた・・・

 花嫁選びの話が出たときに・・・あんなに錯乱してしまったのは・・・

 あなたを失うかもしれないのが、怖かったからからなのかな・・・

 ・・・」



「・・・ふぅん、それで、トンヌラから私を奪ってきたってわけね。」



なるほど、アンディは窓からあの場面を見て、

選ばれたのはビアンカであると勘違いしたのだ。

それを悟ったビアンカは、わざと意地悪そうに首をかしげてアンディを見た。



「ご、ごめんなさいっ!

 せっかくビアンカさんが幸せを掴んだのに・・・

 私を嫌いますか? 恨まれても仕方ないです・・・でもっ・・・!」



「プッ・・・ふふっ、あははははっ!」



ビアンカさん!?」



アンディのあまりの真剣さに、ビアンカはつい、噴出した。

まさかこんな展開になるとは思ってもみなかった。

自分のために、こんな無茶をして、勘違いとも知らずに大真面目に慌てている。

そんなアンディがやけにいとおしく見えた。



「ふふふっ、ごめんごめん。

 なんにも、心配しなくていいわ。

 だってトンヌラが選んだのは、フローラさんの方よ。」



「ええっ!?」



弟のように大切に思っていたアンディ。

いつの間にこの人を、こんなにあたたかく、愛していたんだろう。



「あなたはフローラさんしか見えていないんだと思ってたわ・・・

 ま、私も人のことは言えないんでしょうけど。」



ビアンカさん・・・」



「好きよ、アンディ。

 びっくりしたけどね、私を奪いに来てくれて嬉しかった。

 まさか、あなたがこんなことするなんて思いもしなかったのに。」



「・・・本当に、私でいいんですか?」



「馬鹿ね!

 それは私の、台詞でしょ・・・」



ビアンカは、そう言ってアンディを抱き締めた。

きつく、やさしく。

極上の愛を込めて。



傍では足形のついたスラリンが、不思議そうに二人を見ていた。





「おーーい、ビアンカー! アンディー!」



ビアンカさあん、アンディー、どこにいるんですの〜!」



そうこうしているうちに、二人を呼ぶ声が街の中から聞こえた。

砂漠の日はもう随分高く上がっている。



「さ、もう帰ろうか。」



ビアンカは立ち上がり、アンディに手を差し伸べた。

アンディは少し照れくさそうに、その手を握って立ち上がった。



「早く行かないとみんなが心配してるわ。

 そうそう、説明はちゃんとアンディからしてよね。」



「はい、わかってます。

 あの、ビアンカさん・・・」



「なあに?」



「・・・愛してます、ビアンカ・・・」



「うん、私もだよ、アンディ。」



ビアンカとアンディは照れくさそうに、そして幸せそうに微笑みあった。

二人のブロンドに砂漠の日がきらきらと反射して、二人を祝福しているようだった。



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