第2話

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もう何時間と、サラボナの街をふらついていたのだろうか。

ビアンカは、ただあてもなく、

武器屋でウィンドウショッピングをしたり、

砂漠の中にそびえ立つ、高い塔を眺めていたりした。

ルドマン邸にだけは、なんとはなしに近寄りがたく、避けていた。



やがて日が傾き始め、すっかり歩きつかれた頃、

ビアンカはとある家の玄関に立っていた。

ルドマン邸の向かいにある、大きくはないが小奇麗な家。

そう、ここはフローラに恋する男、アンディの家だ。



何故ここに来ようかと思ったのかは、彼女にもわからなかった。

ただ、ふらふらと何かに引かれるように、玄関に立っていた。

忘れ去ろうとしたもやもやの波が、ここへ来てまた乱れ始めたように思えた。



(ここまで来たんだ、何も持っていないけど、お見舞いをしていこう。)



ピロッ



ビアンカの心とは対称的に、軽快な音を立てて扉が開く。

中にいたアンディの両親に軽く挨拶すると、

ビアンカはアンディの部屋に向かった。



ピロッ



扉の開く音に気づいたのか、その部屋の主はベッドから半身を起こし、

こちらを見ていた。



「あれ、ビアンカさん・・・今日はトンヌラさんは一緒ではないのですか?」



扉を開けた人物が、予想に反していたのだろう、

アンディは、驚いたような、少々素っ頓狂な表情でビアンカに尋ねた。



ゆるく着た寝巻きの合間から、白い包帯が覗き、

皮膚にはまだいくらかの痕が残ってはいたが、

初めて出会ったときに比べれば見違えるほどに回復した姿。

あの恐ろしさ、悲しさは嘘のように拭い去られていた。



ビアンカは、内心ホッとして微笑んだ。



「ええ、今日は一人でお見舞いに来たのよ。

 休養の邪魔しちゃったかしら?」



「いいえ、そんな。

 一人では退屈ですし、来てくださってうれしいですよ。

 ただ、ビアンカさんが来てくれるとは思いもしなかったので。」



アンディの、初めて見る笑顔は穏やかで、まだ痛々しさが残るものの、美しかった。



「そうね、トンヌラと一緒にこれたらよかったんだけど。

 ほら、トンヌラは・・・・・・

 忙しいから。」



「そうですね、結婚の準備とか、あるんでしょうね。」



ビアンカは、自分が言おうとしてあえて省いた言葉を返され、一瞬、呆然とした。

信じられない、何故この人はあえて言うのか、

この人もつらいはずなのに、本当はなんとも思っていないのだろうか。

そんな考えが頭の中を、一周二周と駆け巡った。

だが、ふとアンディの表情に目をやったとき、気づいた。



ビアンカから目を逸らし、少しうつむき気味に言葉を紡ぐアンディの横顔は、

少し寂しいような、切ないような、何かをいとおしむような、

そんな複雑な色をしていた。



それは、仲の良いトンヌラとフローラを見ているときの、

ビアンカの表情とよく似ていた。



(この人は、私と同じ気持ちなんだ・・・

 私と同じ、苦しみを持ってるんだ・・・)



「アンディさん、あなたも・・・つらいよね。

 私、少しだけわかる気がするわ・・・だって・・・」



気づけばビアンカは、思いのままを、口に出していた。

誰にもわかってもらえないと思っていた、

ただ、しまっておくしかない気持ちだと思っていた。

でも、この人の前なら少しだけ、解き放ってもいいのかもしれない。



かなわぬ恋ゆえの仲間意識が、彼女に僅かながらの安堵感を与えた。



「仕方ないですよ。私は彼に、負けたんですから。」



アンディは、ビアンカのほうは見ずにそう言った。



「誰もが諦めた、ルドマンさんの無理難題を、彼は本当に達成してしまった。

 それに比べて私はまだ未熟だった・・・それだけのことです。」



淡々と続ける調子とは裏腹に、彼の肩は僅かに、震えているような気がした。



「そんな、でもあなたは頑張ったじゃない。

 トンヌラに聞いてるわ、死の火山に一人きりで挑んだって。

 確かにトンヌラはリングを手に入れたかもしれない、でも、

 それは仲間モンスター達の力があったから。

 彼一人ならきっと、きっとあなたのように力尽きてたわ!」



言葉の上でだけは強がる姿が、ビアンカ自身を連想させたせいだろうか。

溢れるように出てきた言葉は、彼女自身でも驚くほど、強い調子になってしまっていた。



ビアンカさん・・・?」



アンディは驚いて、ビアンカのほうを見た。

ビアンカの真剣な様子に、戸惑いを隠せないようだった。



「たとえ、もし、万が一・・・トンヌラさんと私が一対一で互角だったとしても、

 彼はモンスター使いなんでしょう。

 魔法使いの、魔法と同じ。

 モンスターたちを味方につけるのも、彼自身の能力。

 やはり、私の負けなんです。」



アンディはまた、いつの間にかビアンカから目を逸らしていた。

でも、言葉の調子はさっきよりもずっと穏やかで、

しかし、悲しげだった。



(このやりとり・・・どこかで・・・

 そうだ、夢・・・今朝見た夢と同じ・・・)



ビアンカは、今朝の夢のことを思い出していた。

今の会話はまるで、夢の中そのまま。

しかし、台詞を喋る人物が、逆だった。

アンディの言葉を自分が、自分の言い訳と同じことをアンディが。



「ごめんなさい、アンディさん・・・大きな声を出すつもりはなかったのよ。

 ただ、なんだかつらくて。

 フローラさんを愛しているあなたが、そんなふうに諦めているのが。」



「いいんです・・・ビアンカさん、あなたもトンヌラさんのこと・・・」



「そんな、私は・・・!」



「大丈夫です、私は誰にも言いません。それに・・・

 ビアンカさんだって、私の恋の相手を知っているんですから、おあいこですよ。」



アンディは、自分の気持ちを言い当てられ慌てたビアンカに、悪戯っぽく笑いかけた。

彼もきっと気づいたのだろう、自分と同じような苦悩を彼女が持っていることに。

そのせいで、自分を彼女自身に投影し、余計に辛くなることに。



いつの間にか座っていた椅子から、半分立ち上がりかけたビアンカ

彼の明るい調子に安堵し、座りなおしていた。



「そうね、おあいこね。」



ビアンカは、ふふっ、と小さく笑った。



「アンディさん、私、あなたがトンヌラのことを恨んでるんじゃないかって思ってた。

 一人で会いに来るのは、少し怖かったわ。

 でも、なぜか来てしまった。

 あなたの気持ちを確かめたいと思ったのかもしれないし、

 ただ、誰かと話したかったからかもしれないけれど・・・」



「私も、実はあなたが怖かったんです、ビアンカさん。

 もしかしたら、フローラのことをよく思っていないんじゃないかって。

 でもなんだかまっすぐな方で、安心しました。

 ・・・多分、同じ、ですよね。」



「そうね、お互いに・・・おせっかいだわ。」



「・・・ですね。」



二人はそう言って、浅く微笑んだ。

それは呆れたようでも、寂しいようでもある微笑だった。



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