第4話

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甘美な夜を鋭い朝の光が破り、砂漠の夜は明ける。

昇り始めた太陽が砂に映り、白い光をきらきらと撒き散らす。

サラボナでは目覚めた人々が、一人一人のざわめきを賑わいに変えていく。



いつもより少し早く起きたビアンカは、宿屋の部屋で朝食の準備をしていた。



「よし、できたっと。」



鍋の中にはクリーム色のポタージュが、ほんわりと甘い香りを漂わせている。

テーブルにはいくつかの丸いパン、そして冷たいミルク。



トンヌラはもう起きてるかな。」



これから盛り付けようというスープは、どう見てもボール一杯分には余る。



ピロッ



ビアンカが二人分のスープのボールを用意する頃、扉が開いた。



ビアンカ、おはよう!」



「あっ、トンヌラ。ちょうどいいところに来たわね、今スープを・・・」



「あのね、今日はルドマンさんに呼ばれてるんだ。

 チロルたちにはもうごはんあげたから、気にしなくていいよ。」



「・・・そう、気をつけてね。」



「うん、行って来る!」



トンヌラは青紫色のマントを翻して、軽快に走り去っていった。

なんだかいつも走っているような気がする。

冒険者の性質なのだろうか。



(ふぅ・・・)



開きっぱなしの扉を見つめながら、ビアンカはため息をついた。



(仕方ないよね・・・ルドマンさんに呼ばれてるんじゃ。)



水のリングを持って戻ってから、トンヌラはほぼ毎日ルドマン邸に出入りしている。

おそらく、フローラ嬢との結婚についてルドマンと相談しているのだろう。

ルドマンはトンヌラをいたく気に入っている様子だ。

きっと愛娘と婿殿のために、立派な式を用意させることであろう。



「どうしよう・・・これ・・・」



ビアンカの手は、スープを盛り付けかけたまま止まっていた。

スープはたった今、多すぎる量になってしまった。

心持か食欲が薄れ、とても二人分は飲みきれそうになかった。



(捨てるのはもったいないし・・・)



気づけば、ビアンカは大きめの器を持って、とある家まで来ていた。



ビアンカ・・・さん?」



「おはよう、アンディさん。」



アンディはベッドの上で本を読んでいたようだった。

少し古ぼけたハードカバー、おそらく魔道書かアイテムに関するものだろう。

意外な人物の立てた扉の開く音に、

相変わらず驚いた表情で、扉の向こうに立つビアンカを見ていた。



「おはようございます・・・

 あの、どうかなさったんですか?」



「朝っぱらから迷惑だったかしら。

 もし、クリームスープが嫌いでなければ、少し手伝って欲しいの。

 味は、悪くはないはずよ。」



早朝に来て唐突なことを言う、しかも少々強引なビアンカに、アンディは戸惑った。

しかし、ここで断る理由もない。

朝食は済ませておらず、ちょうど小腹が空いた頃だった。



「私に? いいんですか?」



「ええ、他に知り合いも多くないし・・・

 まさかルドマンさんに差し入れるわけにもいかないじゃない。

 ちょっと唐突だとは思ったけど、あなたしか思い浮かばなくて。」



くすっ、と困ったように笑って見せるビアンカに、アンディは勘付いた。

つまりこのスープは、トンヌラに食べさせるつもりだったもの、

それが何らかの理由で食べてもらえず、自分のところへ来たのだ。

器をテーブルにおいて準備する、ビアンカの姿がどこか寂しそうに見えた。



アンディはゆっくりと立ち上がり、テーブルの方に移動した。

足元はまだふらつき気味で、傷がまだ回復していないことを顕著に表していた。



「大丈夫?」



ビアンカは手を貸して、アンディを椅子に座らせ、

自分も向かい側の椅子に座った。



テーブルの上では、少しだけ冷めたスープが、甘い香りを漂わせている。



「少し冷めちゃったかもしれないわね、温めたほうがいいかしら?」



「いえ、大丈夫です。私は猫舌なんで。」



いただきます、そう言ってアンディはスープに手を伸ばした。

木のさじですくって口に含めば、やわらかなミルクとコーンの味が広がる。



「・・・おいしい。」



ビアンカの作ったスープの味は、素朴で、しかし格別だった。



「そう、よかった! もしも口に合わなかったら、どうしようかと思ったわ。」



スープ皿が空っぽになるまでには、そう時間はかからなかった。

微熱が引かず、食が進まないことが多かったアンディにとって、

ビアンカの作ったスープは舌にも胃にも優しく、好ましい朝食だった。



「ごちそうさまでした。

 本当に美味しかったです・・・ほんのり甘くて、あっさりしていて。

 こんなに素直に口に入るものは・・・初めてかもしれません。」



「ふふっ、ありがとう。

 父が病弱だから・・・あっさりした味付けが癖になってるのかも。

 健康な人には少し物足りないかもしれないけれど、

 今のあなたにとっては、ちょうど良かったのかもしれないわね。」



美味しい・・・そういってもらうのは久しぶりだった。



ビアンカの作る料理は美味しいよ!



大人になって、一緒に旅を始めてから、トンヌラがよく言ってくれた。

その言葉も、最近は聞けなくなってしまった。



「もし、迷惑でなければ・・・

 また作ってきてもいいかしら?」



食べてくれる人のいない料理は、いつもなんだか寂しい色をしていた。

きっと自分の気持ちが映るのだろう。



「いいんですか?

 ・・・でも、私はうれしいのですけど・・・」



「いいのよ、私のわがままなの。

 一人分の料理を作るのは、一人でいるって認めるようで・・・

 ・・・さみしいから。」



ビアンカは、空になった皿を見つめながら言った。

ここでは、おかしいほどに素直に言葉が出た。

するすると流れる言葉と一緒に、涙まで零れ落ちそうになって必死でこらえた。

じわりと頬が、赤みを帯びた。



「フローラは、あまり料理は得意じゃないそうですよ。

 まぁ・・・食べたことはないんですけど。

 フローラの手料理なら、少々苦くてもしょっぱくても食べちゃいますけどね。

 トンヌラさんなら、食べたことあるのかな・・・はは・・・」



アンディは、雰囲気を軽くしようと、無理に言葉を続けてみたが、

どうやら墓穴を掘ってしまったようだった。

しばらくの沈黙が続いた。



「・・・・・・

 フローラ、よくお見舞いに来てくれたんですよ。

 あなたたちが水のリングをとりに行っている間・・・

 こっちが辛くなるくらい心配そうな面持ちで、看病してくれた。」



「アンディさん・・・」



アンディはテーブルの上でじっと指を組み、その手を見つめていた。

言葉のところどころで軽くくちびるを噛み、溢れそうな何かをせき止めているようだった。



「だから・・・こそ・・・

 寂しくて、悔しい・・・

 あの人が帰ってから、フローラは来ない・・・」



「・・・・・・」



ビアンカは思わずくちびるを噛んだ。

アンディの台詞を、自分にも全く当てはめることができる。

水のリングを取って戻ってから、トンヌラはいつも行ってしまう。

一緒に冒険してきた、だからこそ、寂しくて、悔しい・・・



「フローラさんは、優しい人なのね・・・

 優しくて、愛らしくて、美しくて・・・

 私だって男だったら、彼女の花婿候補になりたがったかもしれないわ。」



ちょっとだけ無理やりに、ビアンカは冗談を言って笑ってみた。

何か言わなければ、このまま自分に負けて泣き崩れてしまいそうだったから。



「そうですね・・・

 トンヌラさんだって、たくましく、強いばかりでなく大らかで、

 私が女性だったら好きになっていたかもしれません。」



「あら、今だって似合わなくはないんじゃないの。

 アンディさんは綺麗だし。」



ビアンカさんだって、フローラを守るには充分頼もしそうですよね。」



「まあ、言ってくれるわね。」



ビアンカさんこそ、冗談が過ぎますよ。」



二人は少し膨れた後に笑い合った。

こんなくだらないことで思い切り笑ったのは、久しぶりな気がした。



「ふふっ、なんだか楽しい・・・心が軽くなっちゃったわ。」



「私もです。こんな楽しい会話は・・・久しぶりですよ。」



「ずっとずっと、暗いことばっかり考えてると、身体までおかしくなりそう。

 たまにはバカ話でもして、笑わなきゃ、ね。」



にっこりと笑ってガッツポーズをして見せるビアンカに、アンディが言った。



「ねえ、ビアンカさん。音楽はお好きですか?」



「音楽? ええ、もちろん。」



「スープのお礼と言っては何ですが、ヘタクソな笛をお聞かせしますよ。」



アンディは使い慣れた笛を手に取っていた。

幼い頃からの思い出を物語るように、美しく年を重ねた笛だった。



アンディは、スゥ、と息を吸い込むと笛にくちびるを当て、奏で始めた。

それは古くから伝わる、美しい愛の旋律だった。

その昔、空から舞い降りた天女が人間の若者と恋におち、

いづれ引き離される運命を知りながらも、二人は愛を貫く、切ない恋の物語。



「そらに とけゆきそうな しろいつばさ はばたく・・・♪」



ビアンカの声に、アンディが笛から口を離す。



「ふふ、知ってるわ、この詩。

 今は亡き母が、よく歌ってくれた・・・とても綺麗な曲で、子供心に大好きだった。」



アンディは何も言わず、再度笛を吹き始めた。

繊細な笛の音と、やわらかな歌声が、混ざり合って部屋の中に響いた。





そらに とけゆきそうな しろいつばさ はばたく

きらきら うたう はるのひざしの なかで

わたしの むねに やさしさはこぶ



ひえきった こころに あいを くれた

あたたかさ おしえて くれた

わたしに しろい つばさはないが

きみの もとへなら かならずゆける



いのち かけて まもりたい

たとえ このみが くだけても

りゅうのかみが ふたりを わかつときも



あいを うたう きみだけに

いとしい きみだけに

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