第5話

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ビアンカはいつの間にか、アンディにスープを届けるのが日課になっていた。

ただとめどなく他愛のない話をし、時には歌い。

お互いの寂しさを紛らわせるように、ただただ時間だけを過ごしていた。

それでも、いつしかアンディに会いに行くのが楽しみになっていた。

ただ一言、スープが美味しい、と言ってくれるだけでも嬉しかったし、

心なしかアンディの顔色が良くなってきているのも、喜びのひとつになった。



この日もいつものようにスープを作り、アンディの家の前まで来た。

トンヌラは相変わらず、ルドマンさんに呼ばれて行ってしまっていた。



いつものように扉を開けようとすると、なんと、手を触れる前に扉が開き、

中から出てきた人物と、軽く衝突する形になった。



「きゃっ、すみません。」



「あっ、ごめんなさい。」



「・・・あ。」



「え・・・?」



ビアンカ・・・さん?」



「ふ、フローラさん!」



家から出てきた人物は、紛れもなくフローラだった。

予想外な相手との遭遇に、二人ともしばし固まってしまった。

なんとなく・・・気まずい。



「おはようございます。

 こんなところでお会いするなんて・・・あら、その器は?」



「いえ、これは、その・・・まあ、たまにはお見舞いにって思ってね、あはは。」



「まぁ、アンディのお見舞いまで・・・

 ビアンカさん、お優しい方なのですね。

 実は私も、お見舞いに行ってきましたの。」



二人のやり取りはにこやかで、しかし明らかにぎこちない。

はたから見たならば、妙なオーラが出ているに違いない。



「アンディさんなら、きっと喜んだでしょうね、フローラさんが来てくれたなら。」



「えぇ・・・でも私、なかなか出てこられなくって。

 父がわがままを通して怪我をさせてしまったというのに・・・

 頻繁にお見舞いにも来られないのは、心苦しいですわ。」



フローラは申し訳なさそうに、胸に手をやってため息をついた。

フローラはアンディの気持ちに気づいているのだろうか。

さすがに堂々と花婿候補に立候補してきたのだ、気づいていないはずもあるまい。

自分を手に入れたいがために傷ついた男のことを、彼女はどう思っているのだろうか。



トンヌラとは・・・うまくやってるの?」



ビアンカは、なるべく穏やかに尋ねた。



「え、えぇ・・・

 でも近頃は父となにやら相談しているみたいで・・・

 私はあまりお話が出来ないのですわ。」



フローラは寂しそうに答えた。



「そう・・・忙しそうだから、無理しないでって伝えてくださる?」



「えぇ、伝えておきますわ。

 あの、ビアンカさん・・・」



「なあに?」



「・・・ごめんなさい。」



「・・・」



上目遣いで一言言うと、フローラは足早に去っていった。

ビアンカは開けっ放しの玄関をくぐり、アンディの部屋に向かった。



「あっ、ビアンカさん、おはようございます。」



いつもよりも数段、明るい声。

部屋の中に溢れる、むせ返るほどの甘い香り。

テーブルの上には花瓶に活けられた赤い花。

今日は明らかに、空気の色が違って見えた。



「・・・おはよう、アンディさん。

 今日は野菜たっぷりのトマトスープよ。」



「さっきフローラが来てくれたんですよ。

 花を持って・・・赤い花、私の瞳と同じ色なんです。

 花言葉は回復だそうで・・・綺麗ですよね、部屋が明るくなったみたいで。」



アンディは浮かれたように軽やかに喋り始めた。

相当嬉しかったのだろう、子供のように頬を染めてはしゃいでいる。

ビアンカは、そんな彼を見て少し呆れたように苦笑すると、

持ってきたスープの器を花瓶の傍らに置いた。



「それはよかったわね、でも、あまり興奮すると熱が上がるわよ。」



「あ・・・すみません。」



アンディをいさめるビアンカ

恥ずかしそうに肩をすくめるアンディ。

髪の色も手伝ってか、二人は仲のよい姉弟のようにも見えた。



ビアンカはいつものようにスープを分け、テーブルに着いた。

今日は花瓶をはさんで向かい合わせ。

フローラの選択にしては、意外なほど鮮やかな花の色が印象的だった。



美味しそうにスープを飲むアンディを眺めながら、ビアンカは呟いた。



「・・・傍にいてあげればいいのにね。」



「んっ?」



さじを咥えたままアンディが顔を上げる。



「うぅん、あなたがあんまり嬉しそうだから。

 フローラさん・・・怪我が治るまででも、もっと一緒にいてあげればいいのになって。」



「・・・いいんですよ。」



アンディは食べかけのスープ皿にさじを戻して、淡く苦笑した。



「フローラにだって事情があります。

 私にいつまでも構っているわけにもいきませんよ。

 それに・・・そこまで優しくされたら、諦められなくなりますから。」



「・・・諦められるの?」



「え?」



ビアンカは尋ねた。

半分はアンディに、そして、半分は自分への問。

しばらく、沈黙が続いた。



「・・・私は、トンヌラさんみたいな人が選ばれて、良かったと思ってます。」



アンディが口を開いた。



「フローラ・・・変わっていました。

 しばらく見ないうちに、以前よりも明るく魅力的に、輝いてた。

 まだ何も知らなかった、子供の頃のような純粋な笑顔・・・

 フローラは心底楽しそうに話をするんです、どんなことでも。」



「アンディさん・・・」



「大抵、フローラに近づく人は、財産目当てか、体目当て。

 でもあの人は、他の男と全く違った。

 フローラと平等に接し、語り、新しい世界を見せて来た。

 ・・・フローラを見ていれば判ります。

 トンヌラさんに心から惹かれていること・・・やっと心を許せる相手に

 出会えた喜びを感じます・・・だから。」



「でも・・・でも、だからって諦められるの?

 純粋に愛しているなら、あなただって同じじゃない。

 諦められるの、それでいいの?」



ビアンカは思わず立ち上がっていた。

その勢いが伝わり、飲みかけのスープがゆらゆらと波を立てた。



「・・・その答えは、ビアンカさん、あなたがよく知っているはずです。」



アンディはただ静かに指を組み、ビアンカを見ないように答えた。

淡々とした声の調子が、冷たさを増して、悲しく響いた。



「・・・そうね、ごめんなさい。」



諦めなければいけない。

諦められなくても、どうにもならない。



ビアンカさん、トンヌラさんって、フローラに少し似てますね。」



アンディが顔を上げた。



「誰にでも優しく、朗らかで、思いやりがあって。

 知らぬ間に人々を惹きつけてしまう・・・

 そう、まるで春の穏やかな太陽みたいに。」



「・・・そうね、どんなに人々が愛しても、太陽はひとつしかないもの。

 それを独占したくて灯を点す・・・人間って欲深いものね。」



アンディは立ち上がり、少しだけビアンカを見ると、

窓のほうに行き、窓を開けた。

ビアンカはその後姿だけを見ていた。



朝の爽やかな風が、部屋の中に入ってくる。

アンディはその風を求めるように窓から半身を乗り出し、

空を見上げ、片手をかざしてみた。



「ねぇ、見てくださいよ、ビアンカさん。

 綺麗な青空・・・フローラの髪の色みたいだ・・・

 白い雲はヴェールのようだ・・・

 そして大きな太陽がまぶしい・・・あれはきっと・・・」



「アンディ・・・!」



「! ビアンカ、さん・・・?」



一瞬の出来事だった。

何故か何かに掻きたてられるように、

ビアンカはアンディに駆け寄り、その身を後ろから抱えるように捕らえていた。

あまりに突然の出来事に、アンディはただ驚いて呆然としていた。



「ご、ごめん・・・落ちそう、だったから。」



ビアンカは我に返り、アンディから手を離した。



「そんな、ちょっと外を見ていただけですよ。

 それに、ここは二階で、下は芝生ですから、万が一落ちたって平気です。」



「うん・・・ごめんなさい、私疲れてるのかな。

 ・・・なんだかあなたがあの青空に捕られて、消えてしまいそうな・・・気がして。」



「・・・青空に・・・」



アンディはもう一度空を見上げた。

今度は窓から少し離れて。

太陽の光がきらきらとまぶしく、空全体を覆っていた。

道行く人々は皆楽しげで、街はきっと本当の姿よりも、賑わって見えた。



「ここからよく外を見ています・・・

 時々あなたを見つけると、このまぶしい光に溶け込んでゆきそうな錯覚を覚えて

 ふと不安になることがある・・・

 ねぇ、あの青空がフローラで、あの太陽がトンヌラさんなら・・・

 ねぇ、皮肉なものですね。」



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